マインドを裁いたり、責めたり、あれやこれやコメントせずに、友人のようにとても親近感のある方法で眺め続けられれば byバァガヴァン

バガヴァンとの対話

みなさんがマインドを裁いたり、責めたり、あれやこれやコメントせずに、

友人のようにとても親近感のある方法で眺め続けられれば、

マインドはやがてとても弱くなり、ゆっくりとより静かなものとなって行きます。


P24からの引用です。

 

マインドのコントロールのしかたについてのバァガヴァンの回答です。

 

バァガヴァンは云います。

 

マインドをコントロールしようとすればするほど、わたしたちはマインドの敗北者になってしまうと。

 

わたしたちが日常というドラマに埋没してしまうのは、わたしたちが思考と自分自身とを同一化してしまうから。

 

例えば、会社に嫌な上司がいる、その上司を見ると嫌な気持がこみ上げてくる。

 

そのとき、いま目の前にある事実は、”上司がいる”という現象だけですが

 

上司をみることで、”こいつは嫌な奴だという想念を”あなたはみてしまうわけです。
このとき、あなたは目の前にある、”あるがまま”をみているのではなく、あなたの内側にある”嫌な奴”という想念を体験しています。

 

その想念はあなたの”過去の体験の解釈”に基づく記憶ですが、あなたはそれが過去の記憶であるとは思いません。

 

だって、あなたはその記憶こそが自分であると認識しているのですから。

 

過去の記憶は単なる記憶であって、これはわたしではない、と記憶と自己を同一視しないこと。

 

『友人のようにとても親近感のある方法で眺め続けられれば』ということですね。

 

エゴをエゴの機能として、出てきたマインドに抵抗せずに、意識的に気づいているようにする。

 

ただ、これだけで、エゴはおとなしくなっていきます。

 

よくある抵抗が、こんなこと思っちゃだめだ、とかの自分責め。

 

責めることで救われるなら、いくらでも責めますが、救われないことはもうわかっていますよね。

 

日常の中で自分責めが始まった時には、本日のバァガヴァンのことばを思い出してみてください^^