本当の自分に還り、本物の豊かさを味わう
黎明‐葦原瑞穂

それが外の世界として、実際に存在しているものであると思い込んでしまっているわけです。by黎明

このような知覚の背景、すなわち私達が五感を通して入ってくる極めて限られた情報を基に、心の中で外の世界を創作していると言う事実は、

四世紀頃に仏教の唯識説を唱えたアサンガやヴァスバンドウ、近代の現象学を築いたエドムンド・フッサールやミッシェル・フーコー等によって詳しく考察されていますので、特に目新しいものではありませんが、

この事実が色々な宗教において、「この世は幻(マーヤ)である」と言われている理由であり、「あなた達は目に見えるものによって眼を覆われている」という言葉の真意でもあります。


P27からの引用です。

 

理解するために、続きも引用しておきます。

 

この五官による表象の総体、つまり私達が眼で見、耳で聞き、鼻で嗅ぎ、舌で味わい、手で触れることによって知覚している世界が余りにも現実感を伴っているために、私達の多くは、それが外の世界として、実際に存在しているものであると思い込んでしまっているわけです。

 

五官を通して入ってくる情報、例えば「色」は、自然界から入ってくる光(様々な波長の電磁波)を眼球の網膜を通じて脳に伝達していきます。

 

脳内の神経細胞が様々な過程を経て最終的に識別された「色」を心の中の像として造りだしているのだそうです。

 

ゆえに、”色は自然界に元々あるもの(実在するもの)ではなく、私達の視覚の仕組によって心の中に生み出された表象、つまり主観的な一種の映像なのです。”と著者は述べます。

 

さて、この主観的な一種の映像は、自動録画され、わたしたちの内部に蓄積されています。外側で起こった出来事に意味づけをしたことが、観念として記録されていく。

 

心の中で外の世界を創作しているとは、自動録画されたその観念フィルムが外側の世界に映し出されている、ということ。

 

だから、心の中に生み出す表象を変えるには、自動録画された観念を解放する必要があります。

 

そして、観念を解放するためには、それが、自動録画された、ただの観念にすぎない、ということに気づく必要があります。

 

目醒めた状態で生きること。

 

例えば、あなたは行動が遅い人にイライラするとします。

 

あるがままの状態で見れば、それは単にゆっくりした行動、遅い行動、ということで、その行動自体にイライラはありません。

 

イライラはあなたが心の中に生み出した表象です。”遅い行動は私をイライラさせる”という観念が、いつかの時点で自動録画されたわけです。

 

あなたは自動録画されたなんて記憶にありませんから、遅い行動を見るたびにイライラします。これを映し出す観念を解放しない限りは。

 

「あなた達は目に見えるものによって眼を覆われている」

 

世界は自分が見たいようにみている、なんてよくいわれますが、はたしてそうでしょうか。

 

これは単にエゴの機能に主権を渡した状態で世界をみているのであって、ほんとうのわたしが見たい世界ではないと思います。

 

主権をとりもどすには、つまりほんとうの自分に還るには、まずは、外側の現象に自動反応してきたのは、エゴの機能である、ということに気づかなければなりません。