『幻想の防衛』-プログラムⅠ(NO.34)-

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幻想の防衛 

誰かが「私」の言うことを信じないと、「私」が軽視され、侮辱されたと感じる。

 

エゴはすべてを個人的に受けとめる。そこで防衛感情や怒りまでもが生じる。

 

あなたは真実を防衛しようとしているのだろうか?そうではない。

 

いずれにしろ、真実には防衛の必要はない。光も音もあなたや誰かがどう考えようと関知しない。

 

引用元:ニュー・アース 『第三章エゴを乗り越えるために理解すべきこと-幻想の防衛』より

※書籍のご一読を推奨します。

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誰かが「私」の言うことを信じないと、「私」が軽視され、侮辱されたと感じる。

身近な日常では、挨拶をかえしてもらえなかったりしただけで、「私」が軽視されたと感じてみたり。

 

「私」が軽視された”と認識できるならまだ気づいている方だといえます。

 

「私」が軽視されたという気持ち”もまだ意識が外側に向いてはいますけれど、もっと外側に行けば行くほど怒りの対象が「他者」への批判やジャッジメントになりますよね。

 

”社会人としてなっていない”とか、”人として正しくない”とか。

 

どんな現実でも自分が創造したという視点に立てば、現実は気づきをもたらすための恩寵にしかなりえません。

 

神である本体のわたしは、「私」に何をきづかせようとしているのか?

 

「私」に何をもう手放してもよいよ、とアシストしてくれているのか?

 

同じ事象でも、視座が違うだけで、不足を感じることもできますし、豊かさを感じることもできます。

 

どちらがいい悪いではなく、”選択の問題”なんだよなあと、思わずにはいられません^^

 

ではでは、ALOHA!