『アイデンティティとしてのモノ』-プログラムⅠ(NO.16)-

テキスト

アイデンティティとしてのモノ 

たとえば自尊心が所有物と結びついているかどうかを判断するには、注意深くて正直でなければならない。

あるモノをもっているというだけで、なんとなく自分が重要人物だとか優れた人間だと感じないか?

何かが欠けていると、たくさん所有している人に劣等感を感じないか?

他人の目を通じて自分自身に映る自分の価値を引き上げるために、さりげなく自分の所有物をほのめかしたり、見せびらかしたりはしないか?

誰かがあなたより多くをもっているとき、あるいは大事なものをなくしたとき、恨みや怒りを感じ、自分が小さくなったように感じることはないか?

引用元:ニュー・アース 『第二章エゴという間違った自己のメカニズムーアイデンティティとしてのモノ』より

※書籍のご一読を推奨します。

テキスト音声 1:01

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MEMO動画 5:17

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ここでいう”モノ”とは、モノにこめられた『私(I)』『私の(my)』『私のもの(mine)』という思考”すべてを指しています。

具体的には何?という場合、これらの『私は〇〇』『私の〇〇』『私のもの』に当たるものをイメージすればわかるかと思います。

そして、それら失いそうになった時に怖れを感じるのであれば執着しています。

なぜなら、自己意識の一部をそれらと同一化しているので、エゴは自らの喪失に恐れおののくからです。

とはいってもねえ・・・・、ですよね。

わたしたちは所有化という概念にどっぷりと浸かって生きてきましたから。

重要なのは、ただ気づいていること、それだけです。

そうしていくことで、思考しているエゴとそれを観察している自己に隙間ができてきます。

エゴに張り付いていた視座を大いなる自己へ引き戻す。

”イーグルアイ瞑想”でやりましたね。エゴを観察する視座を習慣化することです。

それらを踏まえて、MEMO動画を見ていだくと理解しやすいかと思います。

ではでは、ALOHA!