本当の自分に還り、本物の豊かさを味わう
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欲求の解放手順、こんなんでいいの?/セドナメソッドについて㊻

『降参とは自分はこうあるべきだという
考えを手放し、実際に本当の自分に存在することです。』

『降参とは、完全な自分をあきらめることではありません』

なるほど、相変わらず分かり易い
なんて思うのは私だけでしょうか。

アロ~ハ♪@yukarinkoです^^

上の動画は、本当の自分に還るにあたって
私たちは制限を解放することを学ぶ必要がある
ということをバシャールが語ったものです。

さて、制限を解放する為のツールとして
このブログではセドナメソッドを利用しています。

欲求の解放という章に突入し、いよいよ
次回から四つの基本的欲求のひとつである

制御欲求(コントロールしたいという欲求)⇔制御されたい欲求に
入っていきたいと思います。

さて、じゃあ本日のお題はというと
欲求(観念)の解放手順ですね
これについて、すこし語ってみたいと思います。

さっそくですが
下記のことばをみて、何を感じますでしょうか?

사랑해.

韓国語とか勉強した人以外は
???ですよね?w

何がいいたいのかっていうと
何も感じないでしょ?ってこと。

どうして何にも感じないかっていえば
上のことばを見ても聞いても、そもそも
意味が分からないわけですから、何がしかの
感情が沸き起こることがないわけで。

つまり、それに対しての
定義づけも観念も存在しないから。

裏を返すと、わたしたちが日常、何かを感じたり
できるのは、その事象に対してなんらかの定義づけ
や観念をもっているから、ということになります。

定義も観念もなければ
そもそもなにも感じないわけです。

じゃあ、わたしたちが自分らしくあることを
妨げる観念あるいや定義づけを解放することが
できれば、同じ問題で躓くことはなくなるわけで。

そのためには、わたしたちが
どんな観念をもっているのかを探る必要があって

その手がかりとなるのが感情でしたよね。

だから、セドナメソッドはまずは感情を
解放することから手ほどきが始まります。

玉ねぎの皮をむくように感情の層を
解放していった根っこに、それはあります。

わたしという存在を定義してきた観念です。

ただ、問題なのは、その観念が純粋な本来の
自分と融合したものではなく、多くは分離したものであること。

このことを理解していると
セドナメソッドがより効果的なツールとして
利用できるのではないかと思っています。

テキストp140の「制限の木」の図は、いま説明してきたことを
まんまイメージしたものになりますので。

さてさて
解放の手順について。

個人的な体験をお話すると、欲求の解放の手順の中に
「この感情の下にある欲求っは何ですか?」って
自分に質問するところがあるかと思うんですが

ここね、深く考えないで直感でどんどん
いっちゃってください。思考で導き出すんじゃなくって
ハートで導き出すほうが効果的です。

どうしてこんなこというかっていうと
感情と同じように観念(欲求)にも層があるからです。

感情の解放のときに、玉ねぎの皮をむくように
なんども解放していくと親玉にぶち当たるってさんざん話してきましたが

観念(欲求)も同じなんですね。
例えば「この感情の下にある欲求っは何ですか?」って
はじめは承認欲求が出てきたとします。

それはそれで、いまその瞬間のハートが
だした答えに間違いはないので承認欲求を解放しますよね。

にも関わらず、また似たような感情がでてきたとする。
そうすると、えー、こないだ承認欲求解放したのに
うまくいってなかったの????なんて思うかもしれませんが

全てはうまくいっています、ご安心を。

結果がすぐに出なくともちゃんと前進しているという承認を
その都度自分に与えてあげてください。

そうすると、セルフはどんどん調子に乗って
本音をだしてきますのでw

また承認かよ~なんて、いちいち考えずにその都度なんども
解放していくと、ひょこっと出てきますので、本当の欲求が。

それってどうやって判別するの?っていうのは人それぞれ。

私の場合は、もう感覚でああ剥がれていったな、終わったなって
実感することもあれば、涙として解放されていくこともありますし
あと、、知らないうちにってのもあります。

知らないうちにっていうのは、解放した実感は
そんなに大きくないんだけれども、現実が変化していくみたいな感じでしょうか。

例えば人間関係に変化が現れたりとか、今迄なら気になってどうしようも
なかったことが、どうでもよくなってみたりとか。
ある特定の執着(こうあるべき的なもの)に縛られなくなったりとか。

いずれにせよ
いつものことですが、イージーにシンプルに
実践することがコツなんじゃないかなあと思っています。

継続することで、感情ならびに観念の層の
コアな部分に到達することができますので。

そこにたどり着いて解放したときの
あの気持ちよさ?を皆さんにも味わって欲しいと思っています(^_-)

PS:上のハングル語の意味は愛してるです。
愛してると分った今、少なからず全く何も感じない
ということはないのでは?

ではでは、本日も最後までお読みいただきまして
ありがとうございました

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