本当の自分に還り、本物の豊かさを味わう
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偽りのいい人、本物のいい人/セドナメソッドについて㊴

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まっくろくろすけ、でーておいで~

となりのトトロ

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わたし、まっくろくろすけをみたことが
あるのですが、あなたはいかがでしょうか?

アロ~ハ♪@yukarinkoです^^

スタジオジブリの中でも群を抜いて
わたしが好きな映画が”となりのトトロ”です。
”風の谷のナウシカ”と並んで大好きな映画です。

さて
「あたし、まっくろくろすけ、みたことあるんだけどー」
というと、大抵、ひかれます。
ひかれるとはドン引きされるという意味でw

奇をてらって言ってるつもりはないのですが・・。
むしろ、わたしから言えば、、、、、、

え~!まっくろくろすけ、みたことないの~?的な?

わたしの母方の故郷にあった実家がですね
昔ながらの、まるでトトロのロケーションに
ふさわしいような、ふる~いおうちだったのですが

そのふる~いおうちに、屋根裏の納戸がありまして
そういう納戸ってほら、幼稚園児にも満たない幼子(おさなご)
にとっては、開かずの扉なわけなんですが、、、、

開かずの扉ゆえに、納戸ってめっちゃ暗いわけなんです
で、たま~に、おばあ(おばあちゃん)についてって
興味本位で梯子のぼって納戸の扉を開けた世界を見ますとね

これたぶん明るい視野から一転して暗い視野へ、的な
視覚的な問題だと思うんですが、黒い斑点がいくつも
しゅびびん、しゅびびん、飛び交うようにみえるわけです

で、ですね
あたし、思うわけなんです
これが、まっくろくろすけの正体であると!!

これ、まちがいないとおもうんですよ。
宮崎監督もそれを表現したんだろう!って、きっと(笑)

まっくろくろすけとはまた別ですが
あなたは、幼子のころ天井や壁のシミが
怖い顔に見えたり、おもしろい顔に見えたりしませんでしたか?

幼子の頃って、自分の創造したものが
自分の人生そのものだったって、そんな気がしませんか?

春の匂いに、さくらの風
夏の匂いと、夕暮れ、蝉の声
秋の薫りに、冬の白、、、、、、、

幼子だった頃の、あたしたちは

五感いっぱいに自然を感じ、人を感じ、人生の色を感じ
喜びも、怒りも、切なさも、楽しさも

全部が自然で
抵抗なんてなくって
きっとあっても、すぐにどっかに流れていって

ただ、あるがまま
今まさにここ、この瞬間のなかで
命というエネルギーを放射していて

とっても、とっても、ぴゅあーだった

まだ天然むくなころのあたしたちにとっては
喜びも悲しみもぶるるって身震いしちゃうくらい

天からの贈り物って感じで
自然体で受け止めていて

でも

いつからか、あたしたちは大人にならなきゃいけなくなって
自分の感情を尊重するよりも、他人の感情を尊重するような
計算式を覚えさせられて

計算、計算、計算、、、、

でも、それも、この地球上では
必要なことなのかもしれないって洗脳されていくうちに
いつからか、いい人になることが、善なんだと思い込む

そして、気がつかないうちに
本当の自分との距離が離れていって
そして、死ぬ間際に、こう思う

わたしの人生はなんだったんだろう
わたしは、わたしを、生き切ったのだろうか、、、、、と。

ほんとうに、ほんとうに、たくさんのひとたちが
自分の人生はこんなものだと妥協して

それを認めたくないから
妥協していることすら、見ないふりをする
一時の快楽でうたかたの充足感にひたる

だから
大きな夢をもった
本当の自分を生きようとしている人を目の当たりにすると

そんな夢物語、叶うわけがない
もっと現実的になりなさいなんて思ったりして

あいつはちがうんだ
特別な才能があるんだなんて

抵抗の感情をいろんな言葉で表現することで
心の居心地の悪さを払しょくする
自分の大事な何かに蓋をして

そうやって
大人の論理だかなんだかわからない方程式を
ふりかざさないと、やっていけないんだよと心で叫ぶ
意識では気づかない、心の井戸の中で

さてさて

大人になりかけた
いや大人にならざるを得なかったさつきにははじめ
めいには見えていた、トトロの住処にたどり着く道がみえなかった

でも

めいが行方不明になって、どうしようもなくなって
自分の身の丈がわかって、ほんとうの自分に戻った時に

さつきはトトロに出会い、あの、誰しもがあこがれる
ネコバスに乗ることができた

さてさてさて
本日、結局、何がいいたかったのかっていいますと

見せかけのいいひとは、だれも幸せにしないということ

そりゃあ、瞬間的には、いいひとは
不快因子ではないから重宝されるかもしれない

それはそれで、間違っちゃあいないし
間違いなんて、そもそもないんだろうし

ただ、もっと高みを目指して
自分のために、本質的ないいひとを目指すことの方が

社会的に本当の価値がある人なんだろうなとあたしは思います。
なぜかって、本質、つまり本物の光は、自分以外の人をも照らす明るさだから

ほんとうのいい人は、自分も他人もおんなじように尊重できるひと

勇気をもって、逃げも隠れもせずに
本当の自分と向きあうとき

わたしたちは、今目の前で起きている
全てのことを、いいもわるいもなく
ただ、ありのままに受け入れられるようになります

そして
自分の感じること、幸も不幸も全てが、たとえそれがどんな理由であっても
誰のせいでもない、自分の責任であると覚悟できた時に

ほんとうの自分を生きるステージに
シフトすることができるのではないでしょうか

とどのつまり
あたしたちがどんな人生を生きているかっていうのは

天井のシミに
どんな意味付けをしているか

ただ、それだけのことのような気がします

本質は、深刻でも複雑でもなく
ただ、シンプル、あきれるくらいにシンプルなもの

ていうか
過去の偉人たちの声に素直に耳を傾けるならば
どうやら、そらが本質のようです

で、あるならば
自分が傷つきたくない、自己満足のいい人でいることと

周囲の人を光で照らすことができるような
本物のいい人でいることを

あなたは、どちらを選択しますか?

深刻で複雑なものと
ただ、ありのままのシンプルさ

どちらを選択しますか?

なんだか、その問いは
抵抗と許しのどちらを選びますか?
という問いとおんなじような気がしてなりません。

抵抗し続けるか
楽に残りの人生を楽しむか

本気で楽しむためには
どうやら、いままでの旧い信念や行動のもろもろを

許容する、つまり、よしよしと
許すプロセスが必要なようです。

許すとは
ありのまままるっと自分を抱きしめること

すべてを許し切ったとき
わたしたちは、光そのものになるのでしょうか

しがみつきさえしなければ
いらぬ抵抗はいとも簡単に解放されていきます

抵抗が解放されると
天井のシミとおなじように

自分が現実にどんな意味づけを
していたかに気づきます

役に立たない意味づけは
役に立つものに変えてしまえばいいだけ

本当の自分にもどる方法は
どうやらとてもシンプルのようです(^_-)

さてさて
次回は、そろそろいいかげんに
テキストを進めていこうなぞとおもっております(^_^;)

ではでは、本日も最後までお読みいただきまして
ありがとうございました

PS:前々回の記事から
まめりんさんという読者さんからのコメントがたくさんついています。

セドナメソッドを実践したご自身の体験談を
たくさん話してくれてるので、とても参考になるかと思います。

>まめりんさんへ
たくさんの方にシェアしてもらえたら
というお心遣い、ありがとうございます(^_-)

ちなみに、さまで呼ばれるのは、恐縮なので
どうぞ次回からは、さんづけてお呼びくださいませ(^_^;)

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