本当の自分に還り、本物の豊かさを味わう
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人生を無駄にする誇りの正体/セドナメソッドについて㉖

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誇りを感じているとき、私たちは、現状を維持したいと考えます。
変化や動きを望みません。したがって、今の状態を変えまいとして

他人の動きを止めようとします。頭の中は怒りの状態ほど
かき乱されてはいないものの、やはり、雑音が多く、かたくなで

自分中心のイメージです。イメージし考えるのは
自分が成し遂げたことと知っていることについてです。

自分がいかに偉大かを他人に気づいてもらいたいと望みます。

人生を変える一番シンプルな方法 主婦の友社 ヘイル・ドゥオスキン著 p87、88より引用

[/deco_bg]誇り-プライド-について、人生を振り返って考えてみました。
誇り-プライド-は、わたしの人生のなにを制限してきたのだろう、、、

たとえば、つまらない誇りのせいで、わたしは愛する人を
許すことができずに、別れることになってしまったこと

たとえば、つまらない誇りのせいで、わたしは
たくさんの豊かさを得ることを許可できずにいたこと

素直になれずに、愛しているという
ことばを伝えられなかったこと

素直になれずに、謝ることができなかったこと

つまらないプライドゆえに、たくさんの人を裁いてきてしまったこと、、、

例えば、、、、、を挙げたらキリがないかもしれません。

いかに、わたしは誇り-プライド-で
本当の自分であることに制限をかけていたのでしょうか

あなたはどうですか?
あなたは、どんなプライドをもって生きてきましたか?

そのプライドはあなたの人生にどういう
影響を与えてきたのでしょうか、、、、、?

アロ~ハ♪yukarinkoです^^

本日は、【九つの感情の状態】である”誇り”に
ついて話してみたいと思います。

テキストをお持ちの方はp87~を参照してください。
私と一緒に、もう無意味なプライドから解放されましょう

さて、まずはいつものように
誇り-プライド-を説明することばをテキストから少しだけ抜き出してみましょう。

  • 傲慢な
  • 悦に入った
  • 見せかけの謙遜
  • 見せかけの美徳
  • 偽善者の
  • 自己満足の
  • 杓子定規の
  • 心を閉ざした

はっきりいってわたし
すごくプライド高かったと思います。

だって、上のことばにとっても反応しましたもん。

あなたはどうですか?

わたしがくだらないプライドをもつまえの
幼い頃や10代のころ、二十になる前くらいでしょうか

ほら、よく電車でお年寄りが目の前にいたりすると
席とか譲るでしょ?あたしね、結局はおおかた席を譲ってたんですけど

ものすごく、葛藤してました。
こういうこと考えっちゃってたんですよ。

(自分は疲れてるから座っていたいってのが前提で)
でも、、、、自分の方が若いから譲ってあげないと
よくないよな。そうだ、我慢しなきゃ。

でも、、、席を譲ってあげたいっていうのは
正直あたしの本心じゃない、、、、、

こういうのって、偽善っていうのか?

あたしは自分の気持に正直でいるべきなのかなあ?
それとも偽善者であっても譲るべきものなのかなあ?

若い頃は偽善についてよく考えましたね(笑)
見せかけの謙遜とか美徳とかそういうのについても

んで、真面目にそういうこと考えて
すごく無骨な態度とってしまったりしてね。

純粋といえば聞こえがいいですが
まあ、、、、おバカでしたね(*≧∀≦*)

あなたはそういうことありませんでしたか?

あと社会人になってからって
とくに男の上司とかそうだったひと多いけど

上の引用にある通りに
”自分がいかに偉大かを他人に気づいてもらいたいと望みます。”って

そういうの多かって、わたし、そういうのすごくダメで
そういうの振りかざす男には仕事でもプライベートでも

常に戦いを挑んでしまってましたね(*≧∀≦*)

ってことは、今思えば、わたしじしんが
自分の偉大さに気づいて欲しかったのねってことなわけですよ。

それだけわたしは自分に自信がなかった。
自己受容していなかったってこと。

いまだから認められますけど(^_^;)

さて
この誇り-プライド-を解放するにあたって始めに書いたとおり
誇りがわたしの人生の障害になってきたことについて
まずいろいろ振り返ってみましたね。

んで、わたしはわたしが傲慢であることに気づいているし
認めているし、もう許すことができてきているので

瞬間瞬間に気づくことができます。
停滞の原因が、プライドが起因する抵抗だったり

自分、あるいは自分以外の誰かをコントロールしようと
している自分がいたとき、その原因がやはりプライドに起因していたりと、、、。

恋愛とかだと
Keepの状態って、あるいみプライドが起因してたりしますよね。

仕事や友人知人関係だと
必要以上に自分を強くみせてしまったり
あるいは、真面目に演じてみたり、、、

ここで、ちょっと視点を変えてみるけど

わたし、誇りって実はかなり大切だって思ってるんですね
もちろん、主観なので、わたしのね、意見だけど

どういうことかっていうと
自分の人生にとって不要な誇りは埃(ホコリ)なわけなんだけど

そういうのをセドナメソッドなりね、その他のセルフワークで
手放せば手放すほどに気づいてきたんです

ほんとうの誇りに
それはなにかっていうと

わたしがわたしらしくあること。ただわたしであること。

なんか、うまくいえないけど
誇りって、、、そういうことなんじゃないかって

すっごくシンプルなもんじゃないかなって。

埃(ホコリ)って、エゴがね、自分を守るための行為だから
虚勢を張ったり、攻撃的になったり、コントロール入ったり

自惚れたり、偽善に陥ったり、いい子ぶってみたり、背伸びしたり、、、

とにかく、自然じゃない、つまり不自然な状態、、、、、。

でもそれって、ただのわたしでいることができないから
ありのままの自分でいることを受容できていないから

そういう不自然さで鎧をかぶるしかないんだよね、きっと。

あなたは、どんな誇りを持って生きてきましたか?
そのプライドはあなたに人生にどういう影響を与えてきたのでしょうか、、、、、?

そのプライドは自然なプライド?それとも去勢を張ったただの埃(ホコリ)ですか?

重たい鎧はもう脱ぎすてちゃってさ
セドナメソッドで、そういう鎧をかぶってきた自分をもう許してあげましょ

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頭-エゴ-は、”あなたは”と糾弾し
未来と過去に振り回され、不安と裁きに終始する。
ハートは”わたしは”と宣言し、永遠の”今”の中で未来を目指す。

アカシャ光の叡智 (超知ライブラリー) ゲリーボーネル著 より引用

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本来、あなたはだれからも糾弾されることはありません。
だから、あなたも誰かを糾弾する必要なんてない。

そうすることで自分を守る必要なんてない。
あなたがあなたであるという、ほんとうの誇りが心の芯にあるのだから。

ではでは、本日も最後までお読みいただきまして
ありがとうございました

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